謎の当麻寺 絶景スポットはここ!(産経新聞)

【麗し大和・記者の裏話】(22)

 パワースポットというわけじゃないが、神社仏閣にはそれぞれ特有の“霊気”のようなものがある。当麻寺も例外ではなく、むしろ山に抱かれたロケーションはさらに雰囲気が増す気が…。

[フォト]当麻寺は不思議ワールド

 ■当麻氏

 当麻寺は古くは正史に登場しないため、詳しいことがよくわからない。それでも1300年以上をへて、これだけ立派な伽藍が残っているのは、天皇家や藤原氏などとは離れ、地元の氏族や住民たちからの信仰によって支えられてきた証拠だろう。権力闘争から離れたから、破壊を免れたともいえる。その氏寺だったと考えられる当麻氏は、聖徳太子の異母弟、麻呂子王の子孫という。実際、当麻氏は淳仁天皇の生母や平安初期になっても嵯峨天皇に娘を入内させていて、当時はそれができるほどの有力氏族の1つだったようだ。

 ■塔の不思議

 奈良時代から平安初期にかけて建てられた三重塔が、東西2基とも残っているということ自体、不思議なパワーに守られているんじゃないかと思うほどだ。平安末、平重衡による南都焼き討ちがあった際も、重衡軍は当麻寺のすぐ横、かつては大阪との主要街道で知られた竹内街道を通って当麻寺を襲い、奈良の都へと進んだというが、当麻寺の塔は被災を免れた。東西が創建時のまま残り(西塔は再建?との説もある)、ともに国宝なのはここだけである。

 さて、相輪(てっぺん部分)の輪が8つというのは、どうにもおもしろい。塔といえば現在では9輪ばかりだそうだけど、はたして昔からそうだったのだろうか? 塔がつくられ始めたころは、いろいろあったかも?(専門の方のお話を聞きたいところだが、素人話でご容赦を)。中国をルーツにして数字は奇数が好まれる場合の方が多い。ただし、8は吉数ともされている。さて、8にどんな意味があるのだろう。

 創建時期も、東は奈良時代、西は平安初期とずれている。官寺でもないから、1氏族が少しずつ堂宇を建てて伽藍を整えたとすれば、2基の塔を一度に造るのは財政的にも難しかったということだろうか。様式が異なるのも、2基目の設計に入ったとき、さらに進んだ様式が大陸から入ってきたので、最新技術なりデザインなりを取り入れたとも考えられる。まったく同じ塔を2基造るのではなく、その時代で最も新しい技術を取り入れた…というわけだ。

 ■塔のある風景

 というわけで、境内あちこちから塔を眺めてみたのだが、三重塔で25メートル弱ということもあり、意外と両方をまともに見られるスポットは少ない。おすすめをあげてみた。

 ◎奥院(おくのいん)から

 四季折々の花と浄土庭園が有名な奥院。ぼたんの時期はもう終わったが、これからはクチナシ、あじさい、夏にはハスやスイレンなどが楽しめる。奥院じたいが少し高い場所なので東西の塔を見下ろす景観。宝物館には国宝、重文がずらり。

 ◎西南院(さいないん)から

 池泉回遊式庭園、水琴窟が有名。西塔を借景にしたながめがよく、縁側に座ってお茶をいただくとほっこりする。「みはらし台」からみた東西両塔は絶景。

 ◎中之坊(なかのぼう)

 片桐石州が改修したという名庭園「香藕園(こうぐうえん)」が美しい。東塔の借景が楽しめる。中将姫が髪をそり落としたと伝わり、霊宝館にはそのかみそりも。当麻寺は折口信夫の代表作「死者の書」の舞台として有名だが、現在、折口の自筆「送り状」が展示されている。

http://www.taimadera.org/

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